神(アッラー)とは
イスラムとは、アッラー(神)に服従するという意味になります。
なんだか、威圧感があるように思えますが、実はそうでもないんです。皆さんの周りに起こっている出来事、例えば、太陽が登って朝になり、太陽が沈んで夜になる。人間は陸上、魚は水中で生活する。植物は光合成をして生きている。など、いろいろなことが決まっていて、それぞれがそのルールに則って生きています。だから、皆さんもすでに意識していなくても、何らかのルールの基で生活しているんです。
イスラムでは、世界のルールの創造、計画、実行をアッラー(神)がしていると考えています。
ここで、神の存在が気になると思います。どんな姿、形なんだろう?どんな風に存在しているんだろう?と疑問が出てくることは自然なことです。イスラムでは、神の姿、形などの定義はありません。正確に言うと、神から直接、人間に対して姿、形などを伝えられてないので、定義をしないということになります。だって、自分のことでもないのに、あーでもない、こーでもないと言うのは間違っていると思います。
そんなアッラーの存在を唯一頼りにすると心に決めたのがムスリム(イスラム教徒)になります。
礼拝などの信仰行為をなぜするのでしょうか
イスラムには信仰を表現するために、いろいろな行為があります。
”アッラーはなんでも知っているのなら、行為は必要ないでしょ、だって気持ちから全部お見通しだから”。そういう意見もあるでしょう。
もちろん、アッラーは全知全能であられるので、お見通しです。でも、イスラムの知識や礼拝などの信仰行為は、人間にとって必要なものなのです。
どう必要なのかというと、日本語にもあるように「知行一体」が大切なのです。どれだけ、知識があって、やる気があっても、実行しなくては意味がありません。
その意味では、イスラムの知識を深めることも信仰行為と言えるでしょう。アッラーにアピールするためてはなく、自分自身のためなのです。アッラーの判断ポイントは、本当に純粋な気持ちで信仰行為をしているか、ではないかと感じます。ムスリムは決して、無理やりに礼拝や断食をやらされているわけではないですよ。
ムスリムには、礼拝や断食や施しなどの信仰行為が求められています。
それはどういった理由からなのでしょうか。個別にいろいろ理由はありますが、一番の理由は、アッラーからそのように伝えられているからです。
なんだかこれも強制的なんじゃないの?と疑問に思うことがあるでしょう。
これに対して、ムスリムはどう考えるのでしょう。
それは、規律正しく、美しいハーモニーで存在しているこの世界を見ていれば、疑う余地はありません。もし、疑いの心があれば、この世界に対しても、疑っていること同じです。自分に義務を課される部分は疑い、義務を課されない部分は疑わないのであれば、それは人間の都合でしかありません。管理してもらっている以上、義務を課されることは当然あるでしょうし、ましてや全幅の信頼を寄せるアッラーからの義務であれば、喜んで行うことができるでしょう。
もちろん、ムスリム一人一人の価値観の違いはあるでしょうが、私はそのように感じています。
イスラムを信仰すると良いことがある?
これは私自身、よく投げかけられる質問です。
少し考えてみましょう。
この調和のとれた世界。
太陽が光を照らしてくれる。
昼と夜が交互にやってくる。
植物が光合成をし、動物がそれを食する。
鳥や微生物が地上の廃棄物を土にかえす。
雨が降り、水を飲む。
どこかがバランスを崩しても成り立ちません。
これらはすべてアッラーが計画、創造、実行していることです。私たち人間はアッラーによって創られたものを基礎として生きています。
アッラーが計画、創造、実行していない世界は体験したこともなく、体験したいとも思いません。
今まで通りの生活を送れることに感謝こそすれ、不満を創造主にぶつけることはありえないでしょう。
アッラーが創った世界に、どれだけの安心感を得られるでしょう。
みなさんはお気づきだと思いますが、これこそが「いいこと」です。
礼拝
ムスリムは、1日に5回の礼拝をします。
各礼拝時間に1度礼拝することが義務になります。
・ファジュル(夜明け)の礼拝
夜明け前、地平線が白みかける頃から、日の出前までの時刻にする礼拝。
・ズフル(正午過ぎ)の礼拝
太陽が完全に昇り、影が東側に傾きかけたときから(太陽がちょうど真上にある時を除く)、全てのものの影が二重になるまでの間にする礼拝
・アスル(午後)の礼拝
ズフルの礼拝が終了する時間から、日没までの間にする礼拝
・マグリブ(日没)の礼拝
日没から始まり、日の沈んだ場所の赤み、その後の白い光が消えるまでの間にする礼拝
・イシャ(夜)の礼拝
マグリブの時間が終了した時刻からはじまり、朝の礼拝時刻に入るまでの間の礼拝
誤解のないように言うと、人間は忘れやすいので、神のことを思い出すために1日5回にしてあるという話もあります。
さておき、5回は多いな、と感じるでしょうが、礼拝1回あたり約10分。1日で合計すると約1時間。それくらいなら時間とれそうですよね。しかも、神への感謝の気持ちを表しているわけですから、気分も良くなります。礼拝後は、神へのお願い事をするのです。
でも、日本で生活していると、礼拝の時間になっても、学校の授業があったり、仕事があったりすることは、よくあります。そんな時は、時間をずらして、後でしています。ただただ礼拝の時間を守ることより、日常生活と信仰行為の両立をすることが大切だと考えているムスリムの方が多いです。
断食
イスラムでの断食は、信仰行為の一つです。
飲食をしないことが知られていますが、それだけではないのです。
以下のことが主な目的です
①飲食、怒りの感情などの欲求をコントロールする
②貧しい人たちへの思いをよせる
③イスラムの理解を深める
④自分の財産の浄化
断食期間について
1年の中で、約30日間、断食する期間があります。
30日断食といっても、ご安心ください、その間何も飲食しないということはありません。
1日の中で、日の出から日の入りまでが飲食しない時間帯で、それが30日続くわけです。
もし、病気、高齢、妊娠、子供、などでしたら義務にはなりません。あとは、スポーツ選手や重労働者なども義務になりません。もちろん、断食ができると思えばしてもらってもかまいません。自分の判断で決めていきます。
断食が原因で死んでしまっては、元も子もありません。
ですので、周りの人たちは、自由に飲食をしてください。気を使ってしまうことと思いますが、ムスリムはそれに対して、何も思いません。何しろ自分自身のことですから。
ハラールとは
「ハラール」
この言葉を知っている人は多くいるでしょう。
ハラールというのは、「神から許されたこと」という意味になります。
これだけを聞くと、ムスリムって行動がとても制限されているんじゃないかと思う方もいると思います。
でも、実際は違うんです。ハラームという「神からの許されないこと」がとても限定的で、それ以外はほぼハラールということになるんです。
ちょっと想像してみてください。ある日本人ムスリムが使っていたたとえ話を出しましょう。
あなたの目の前に見渡す限り広がっているハラール海を思い描けたでしょうか。そのハラール海という大海原にハラーム島という小さな小さな島が浮かんでいる。
ハラールとハラームの関係性としてのイメージができたと思います。ですから、決して、行動が制限されているわけではなく、とっても自分で決めれることが多いんですよ。
ムスリムは、自分の言動がハラールになることを人生の目的としています。
今の行動は、ハラールなのか?、今の言葉はハラールなのか?と、いつも気にしています。
神が創ったこの世界で快適に生きていくためには、神からの推奨行為をしたほうが楽に生きられることは間違いないと思います。それが神から創られた人間の言動として最適なこととなるでしょう。
でも、何も難しいことをする必要はありません。仕事をがんばる、人と笑顔で接する、ゴミを拾う、育児にがんばるなど何でもいいのです。
ハラール認証は必要ない!?
訪日外国人観光客が増えて、ムスリムへのおもてなしの一つとしてハラール対応の飲食店が増えました。日本でラーメン、焼肉、などがムスリムは選択肢に入ることができるようになりました。大変な進歩であり、とても喜ばしいことです。
それらのお店に行くと、“ハラール認証取得”と宣伝しています。材料が何か読めない人や聞けない人達には、ハラールとアラビア語で書いてあることは、とても安心感を抱きます。
ただ、現在の日本の法制度にはハラールに関する法律はありません。何を意味するかというと、ハラールに関するすべての活動に対して、日本の行政機関から、義務が発生したり、許可が必要になったり、罰則が課せられたりすることはないです。
将来は、ハラールに関する法律が整備される可能性は十分にありますが、今は日本の法律からは自由の身です。ハラール認証を取得するメリットは輸出するときに初めて発揮されるのです。日本では認証取得に発生する費用がムスリムに返ってくることが多いように見受けられます。たとえて言うと、ラーメン屋さんは、高いハラール認証取得費用をラーメン1杯の値段に上乗せして回収しているということです。払うのはムスリムです。物が日本の中で流通している間は、ハラール認証は必要ないと言えるでしょう。
こちらでは、それに対応するために、ムスリムサポートセンターでは石川ムスリム協会監修のムスリムフレンドリーの認証を行っています。認証を取得時、取得後もトータルサポートをしています。
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